あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、こっちもあったか、あっちも気にかけておかないと、と思いだすと気が重くなるばかりです。中村天風師の「さしあたる、その事のみをただ思え、過去は及ばず、未来知られず」を心がけ、それに近づいているような感じだけはしている今日この頃です。
これまで事業をやってきたことをつぶさに振り返って今後に活かしたいと思う一方、過去を懐かしむようになるのも嫌だし、後悔はさらに御免こうむり、それらはもっと歳をとってからにして、パッと振り返って頭にうかぶ、今後の心がけにつながるようなことをまとめてみました。
食べ過ぎない
もうほとんどこれだけでいいぐらいです。動きやすくなりますし、勘働きも冴えるということはわかっていても、なかなかできない。たまにはいいが常時そうしないように呪文のように唱えるほかなし。フランクリンの十三徳で、節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。が第一に置かれていたことを思い出せ。
状況に関係なく強い意思があればそんなことは関係ないと言いたいところですが、その強い意思はまず食べ過ぎを抑制させるほうに向けたいところ。
田舎ならではの話では、旬の採りたてのものを大量に食べすぎてよくない。旬の採りたてものはエネルギーにあふれているだろうから少しだけ頂けば十分でしょうが、うまいからそうはなりません。先日は(おそらく)タケノコの食べ過ぎで便秘になって懲りました。
もっとも、こんな悠長なことを言ってられるのも食糧危機が起きなければという前提付きでの話ですね。
今後のイメージを描く
どうもイメージ通りにしかならないようです。私が手掛けていた葬儀社紹介業と言うのは、20年前のときには、電話帳広告をしているC社が一番大きかった。ちょうど電話帳広告からインターネットに移行する時期でした。C社以外の3社はインターネットを主戦場としていました。私が始めたA社と、仏事関連の出版社のK社、インターネットマーケティング会社のS社です。C社がまず脱落し、S社も8年ほど前に脱落しました。もちろん現在に至るまでインターネット会社などの参入は引きも切らずですが、その中で運営を続けているのも、U社やY社など数社でしょう。
インターネット会社のやり方は、おおむねデータベース情報・オペレーター型です。全国展開も視野に入れられます。一方、私がイメージしていたのは、相談員による相談型で提案やアドバイスをするため担当エリアも絞られます。
もちろん、どちらがいい悪いではありません。私がデータベース情報・オペレーター型をイメージしていればそのようになったというだけです。なぜオペレーター型に行かなかったかと言うと、心地よさそうな感じがしなかったから、というだけです。
もちろん、イメージしてもそうなる保証はありませんが、すくなくとも、何かしらのイメージを先行して持っておかないとそちらの方向には進んでいかないということはあると思います。
内容のないものをマーケティングの力で何とかしない
事業開始当時、よく参考にした本は『60分間企業ダントツ化プロジェクト』(神田昌典・著、ダイヤモンド社、2002年)をはじめとした神田昌典さんのものです。はっきり言って効果がありました。
人間は感情によって動くわけで、そににうまく訴えかけて行動を起こさせる、みたいなことを説きます。感情を揺り動かすために、嫌なイメージを思い浮かばせるようにとか、切迫感をあおるとか、希少性を強調するとか、物語をつくるとか、マスコミを利用するとかやるわけです。その話の展開の基礎にすえるのがUSP(ユニーク・セリング・プロポジション)です。USPがいかにすごいかをあの手この手で訴えかけるわけです。
面白かったし斬新でした。今でも、これを学ばなければ事業を離陸させることはできなかったかもしれないとさえ思っています。
しかし今はどうでしょう。そんな表現があまねく浸透してそれで溢れかえっています。今は、そんな表現の中から本物を見つけるのが一層難しくなってきている感じです。自分で考えださなくても、サポートしてくれるところがわんさかです。
そんな表現に引っかかって、ガッカリした経験は一度や二度ではないはずです。
適切に表現をしていったら、本物を表していたというところを目指していくことにしよう。
大事な部分を他になるべく依存しない
私はこれまで市場経済の中でビジネスをやってきたと思っていました。でも本当に(理論的に)中心にあるところの現実は知らなかったみたいです。村に来てひょんなことから花卉組合に入りました。花の流通を知るにつけ市場はこうなっていたのか、と合点した次第です。卸売市場のセリが中心部です。たしかにTVなどでその風景は見たことがあるでしょうが、そこでの取引価格は安定とは程遠い、不確実性そのものです。昨年50円だったものが今年は10円か、みたいなものです。農作物も魚も同じです。
花卉を出荷するほうからするとたまったものではありません。いくらで売れたかは市場に出した後でないとわかりません。市場万能とか言ってるどころじゃありません。
もっとも、卸売市場はセリが原則ですが、それ以外の取引もいろいろな理屈をつけてできるようにはなっています。そうしないとやってられないということでしょう。出荷するほうも市場とは別ルートの販売先を確保したりします。
不確実性やら他人に首根っこを押さえられる状況の中に身を置くのはできるだけ避けたいところです。私も自分で事業をするにあたって、自分で値決めできないようなことはしないようにしよう、としてきました。言い換えると自分でルールが作れないようなことはしないようにしました。
たしかに葬儀社紹介業では自分でルールを作ってきましたが、それでも紹介業の弱いところは、ある程度まではおぜん立てができるが、最終的には紹介社の力量により成約できるかどうかが決まるということです。大事な部分を他人にゆだねるほかないということです。
事業にはいい時も悪い時もあります。調子のいいときはみんな許せるが、調子が悪くなってくれば、どうしても他人のせいにしてしまう。弱いから恨みがでて他人のせいにしてしまう。
今後は、できるだけ大事な部分は自分でやるようにしよう。もちろん、これは大きなビジネスを目指すのとは反対の方向です。
補助金に頼らない
大事な部分を他に依存しないの延長線上で、補助金に頼らない。事業をやるうえで、田舎と都会の違いは何かと言われれば、真っ先に、補助金依存かどうかと答えますね。田舎にきて一番びっくりしたのは実はこれです。
だがそれもつかのますぐに慣れてしまい、何か買うにしても、これ補助金がでたかなと聞いたり、補助金はこういうところに出るのかと探ってみたり、もらえる補助金はもらわないと損みたいな気分になっている始末。なさけなや。
他人のカネに頼るなでやってきたはずだったよな、そうしないと力強い事業は展開できなかった。事業の中心があっての、文字通りの補助に乗るならいいかもしれないが、補助金に合わせた事業はしないことにしよう。