村落には共同作業がつきものです。基本的に一戸から一人は出る決まりです。高齢化が進んだ元気のない集落は、どうしても最低限のところに落ち着いてしまいます。
年3回、日曜朝の共同作業
7月の回覧板の中に、「河川愛護の作業実施について」と通知が入ってます。実施日として、特定の日曜日の日付けが示されています。共同作業の通知です。同じように、4月と10月には 「道路愛護の作業実施について」 の回覧板がまわります。
日曜の朝8時から9時過ぎぐらいまでなので、その時間帯は空けておかなければなりません。基本的に一戸から一人は出る決まりです。当日は、朝8時から道路端の草むしりなどします。作業着を着て鎌や雑草抜き、箒など道具を各自持参して作業します。(もちろん、地方によって、共同作業の内容や回数、集合日時など様々です。)
1時間ほどの作業が終わると、参加した人がちょっとした広場のようなところに集合します。分区単位で行っているので、20人ほどの集まりになります。わが家のところでは、班が4つ集まって分区になり、分区が3つ集まって区になっています。一般的には、区が地域社会を運営する一つのまとまりである自治組織ですが、このあたりでは分区が自治組織になっています。
分区長さんが村からの伝達事項と、共有しておくべき事項の確認、村へ伝える要望のとりまとめなどをします。とりまとめは、何か困り事、不都合なことはないかの話から出発、何かある人が発言する、そして、それに対して他の人が知っていることを話して話を膨らませる、みたいなやりとりをした後に行われます。ひとしきりできったところで、分区長さんがおおらかにまとめて、村への要望事項にするという流れです。その時によって違いますが、15分から30分ぐらいのちょっとした会議風です。
寄り合い的な場にもなる
いまは、みなが集まる寄り合い(会議)もなくなっているので、こうした場が活用されます。最初に参加したときは、私と妻を分区のみなさんに紹介するといったことも行われました。
ちなみに、村落での会議は、会社の会議のようなものとは違います。都会に住んでいた人が初めて参加すれば、話があっちにいったり、こっちにいったりして、これで何か決められるのか、と思うかもしれません。でも、歴史的な知恵なのでしょうか、なるべく不平や不都合、後々のしこりがでないように絶妙な決まり方をしていきます。これについては、またの機会にお話しします。
ともあれ、分区の人の多くが集まる共同作業が年3回あります(多く、というのは、出ない人もいるからです)。地方によっては、もっと多くの共同作業がありますし、共同作業に出なかった戸に対して、罰金をとるところもあります。多く共同作業があるところほど、自治活動が活発なところと言い換えてもいいでしょう。区費も高くなるかもしれません。
おてんまとは
どの地方の村落でも共同作業はありますし、町の町内会でも参加率は低くなるところもあるでしょうが共同作業はあるでしょう。こあたりの地方では、共同作業をおてんまと呼んでいます。おてんま、っていい響きです。群馬や長野などで使われています。
おてんまは、「御伝馬(おてんま)」そして、「お手馬」に由来するようです(ネットで調べただけなので正しいかどうか、出典もわかりません)。戦国時代、諸大名は軍事的必要から領国に宿駅を設置し伝馬を常置しました。伝馬は、公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいいます。馬が足りなくなると、農家が自分の馬(手馬)を提供した。ここから転じて、おてんま、意味合いも通じるものがあります。
さて、おてんまについて、内山節さんの著書『共同体の基礎理論』の中に説明があります。
「おてんま」とは群馬や長野の一部ではよく使われている言葉で「結」に意味は近い。それは共同でみんなのためになる仕事をすることである。ただし、「結」は、道普請や水管理などをすることもあるし、田植えを共同でしたり、屋根の葺き替えをすることもあった。ところが「おてんま」はみんなのためになることを、みんなでする、つまり道を直したり、水路管理をしたり、共有林の整備をしたり、……を指す言葉であり、個人の利益になることを共同することは含まれていない。
おてんまの内容をみてみると・・
「みんなのためになることを、みんなでする」、うちの集落は、年3回といいましたが、高齢化が進んだ元気のない集落は、どうしても最低限のところに落ち着いてしまいます。村の中でも、うちの集落よりも高齢化が進み人数が減っているところでは年3回のおてんまも維持できなくなっています。
他の地方で元気があって自発的にやることがあるところであれば、共同作業の回数も多くなるでしょうが、ないところは、何かのきっかけでも作らないと共同作業自体がなくなりかねません。
そのきっかけが、道路愛護や河川愛護です。実は、この作業も独自性のあるものではありません。村落の区や、町の町内会、その他、さまざまな団体が取り組んでいます。なぜなら、主催者は自治組織ではないからです。たとえば、河川愛護作業は、河川愛護月間の中で行われています。河川愛護月間は国交省が主導するものです。次が国交省の「河川愛護月間」実施要綱の目的の説明です。
この運動は、身近な自然空間である河川への国民の関心の高まりに応えるため、地域住民、市民団体と関係行政機関等による流域全体の良好な河川環境の保全・再生への取り組みを積極的に推進するとともに、国民の河川愛護意識を醸成することを目的とする。
主催は、国土交通省、都道府県、市町村で、後援までついています。後援は、内閣府、NHK、一般社団法人日本新聞協会、一般社団法人日本民間放送連盟という具合です。
そうです、いまうちの集落で行われている共同作業は、形式的には、主催者である村の呼びかけに応じてやっているということになります。自発的なものではありません。もっとも、「みんなのためになることを、みんなでする」 ということにはかわりありませんし、一戸から一人は出るということにもかわりありません。
おてんまでスケート場をつくる
私が小中学校にいた1970年代は、もっと頻繁に、おてんまやら、寄り合いやら集落のみなが集まる機会がありました。当時、日曜日の朝なんかによく、父親が「おてんま」に行ってくると言って出かけて行った記憶があります。おてんま? 何それという感じでした。自分も早く大人になって行きたいものだ、と思ったものです。でも、時代は変わりました。
実家のすぐ近くに幅20メートルほどの川があります。小中学校の頃、寒い冬の時期になると、なんと、その川を堰き止めて氷をはらせて、スケート場にしていました。幅20メートル、長さは70メートルほど、リンクもつくってスピードスケート、リンク内ではホッケーなんかもやっていました。よその学校の生徒も遊びに来たりして、何十人も氷上で遊んでいた記憶があります。
この川の堰き止め方が、なんと、人力で石を積み上げていく方法でやっていました。そうです、人力=共同作業=おてんま、です。子供たちにいいスケート場をつくってやろうという区の大人の人たちが、おてんまでつくってくれたのです。行政とは関係なく(川をせきとめる許可をとっていたのかしりませんが)やってくれました。懐かしい時代があったことを思い出します。
護岸工事がされて、今は川幅も狭くなり、まったく面影はないが、かつてはここに、おてんまでスケート場をつくっていた。
作業内容は地域事情によって様々でしょうが、こうした、共同作業をしているところもまだあるかもしれません。
– 追記 – おてんまが再開される
《2022年10月23日記》
コロナ禍において、おてんまは2年以上中止されていました。ようやく再開で、道端の雑草などの掃除です。と言っても、おてんまがなくても皆さん自分の家の周りの雑草は刈ったりしているので、その辺りはそれほどでもありません。それでも、それ以外のところはそれなりに雑草があります。
だいたいどのあたりを担当するか決まっていますので、うちは家から上のほうに向かって進みます。ホウキとテミと小カマを持参して、雑草を抜いたり、散らばっている枝葉を集めて掃除です。
いつもより時間はかかりましたが、刈払機とブロワを持ってきて一気に広範囲をカバーしてくれる人もいて助かりました。