土を喰う感覚は、畑で自分で育てた作物を食べる環境にある人にはしっくりくるものです。本書は水上さん59、60歳の時の著作ですが、自分の年齢もそれに近づくとともに、内容がよく呑み込めるような環境にあるのはありがたいかぎりです。
大正13年の梅干
本書を読み始めた時、いつ何でこの本を買ったか思い出せませんでした。本棚にありました。『園芸家12カ月』(カレル・チャーペック)を手にとり、その月のところを読みはじめましたが、いまひとつ入り込めず今読む本ではなさそうということで、12カ月つながりで手にとったのが本書です。
読み進めているうちに、前どこかで読んだ覚えのある話が載っていました。「大正13年の梅干」の話です。ほんといい話です。誰かがこの話を紹介していたのを面白く思って買って積んどいたようです。
大正13年につくった梅干を水上勉さんに会う機会があったらおすそ分けしてあげなさい、と娘に言い残して亡くなった母。お母さんは、禅寺の和尚の奥様でした。娘さんが生まれたときに寺で修行していた水上さんは娘さんのオムツ洗いやお守りにあけくれた縁です。和尚が亡くなった後、お母さんと娘さんは寺にいられなくなります。その後、音信不通になっていたが会う機会ができて「大正13年の梅干」を手に入れて食べる。
さっそく軽井沢へ持ち帰り、深夜に、その一粒をとりだして、口に入れた。舌にころげたその梅干は、最初の舌ざわりは塩のふいた辛いものだったが、やがて、舌の上で、ぼく自身がにじみ出すつばによって、丸くふくらみ、あとは甘露のような甘さとなった。ぼくは、はじめはにがく、辛くて、あとで甘くなるこんな古い梅干にめぐりあったことがうれしく、五十三年も生きていた梅干に、泣いた。
こうしたことを新聞のコラムに書いたら、「作家はフィクションがうまい」、梅干が53年も生きるわけないだろう、腐ってしまうだろ、いい加減なこと言うな! と読者から言われてしまう。これに対する反論やら、援軍が現れるなど一連の話が「大正13年の梅干」です。
という具合に、本書は旬の食材をとりあげながら過去の出来事をからめながら話がすすんでいきます。特に9歳からの禅寺での修行時代に精進料理の基礎をたたきこまれ、それが今にいきているという話をするわけです。
水上さんにとって、過去を想い起こさせてくれる一番の手段は食べものであるという位置づけです。とくに、自分で料理するとその効果はさらに大であるとも。
台所仕事は一大事
料理をすることは過去を思い起こさせるという位置づけのみならず、台所仕事はその人の全生活がかかっている一大事とみなします。道元の「典座教訓」を引用しながらです。典座(てんぞ)とは、禅寺で食事をつかさどる役目の僧のことです。
たとえば、「典座教訓」の中に出てくる、中国で出会った60歳ぐらいの典座で35里を歩いて椎茸を買いに来た話が取り上げられています。道元が尋ねるわけです。「どうして代りの若いものをよこさないですか」「こんなことよりなんで座禅弁道したり、公案のことを考えないのですか」「台所しごとなどに面白いことがあるのですか」と。
典座は大笑いして「いまあなたが、うかつに通りすぎたところをうかつに通りすぎなければ、文字を知り、弁道を知るということです」と言って、泊りもしないで35里の道のりを歩いて戻っていった。
中国に行って学問をしよう、修行をしようという若い道元にとっては金づちで殴られたような衝撃的な教訓だったのではと水上さんは推量しています。
ともあれ、台所仕事は一大事、と強烈に教えてもらっただけで本書を読んだ甲斐があったというものです。あとはその意識を持っての行動です。
今日の料理は畑と相談して
さて土を喰うです。土を直に食べるわけではないので、「喰」という字が使われているだけなのかはよくわかりませんが、水上さんにとっての「土を喰う」は精進料理のことです。土を喰うことは旬を喰うこと → 旬を喰うことが精進料理の極意、とあいなります。そうなので、今日の精進料理は畑と相談しながらとあいなります。
たとえ畑にあるものができの悪い大根でも、昔ながらの辛さがあるとか、何かしら特徴をとらえてうまくいかして料理する。素材に優劣はない。工夫をこらせばいいだけ。これが精進。
+αの工夫にはキリはない。たとえば、どんな材料でも、その季節の間に同じ形式で出さないというぐらいの気迫をもって。これも精進。なので、冬の寒い畑に相談しても何も出てこないが、保管してあるものや乾物など台所にあるものと相談し工夫して料理する。これも精進。
耳に痛い!!
でも工夫の陰には、バカげた料理を試して味見している風景があります。それを笑うなよ、と水上さんは言ってますね。
ここからやっていこう!!
今日のおかずは何にするかな? 畑と相談してみよう! うちもそういう日が着実に近づいているわけだし。
あとなるべく取り入れようと思ったことが、おかわりはしないという禅宗方式です。うまいものは大事に食って欲しい、ということらしいです。味わって食べるようになりました。この歳になって恥ずかしい限りです。
そうそう、水上さんが「土を喰う」と表現するのは、父親への懺悔の意味もありそうです。大工だった父親が木挽きの手伝いで山に入った時、飯時になると山へ入り込んで木の葉やキノコなんかをとって火に焼いて喰っていたといいます。弁当箱には御飯と味噌と塩がはいっているだけです。草木を喰う知恵を持っていたわけですが、当時はそういう父親をどうかしていると思っていたといいます。貧乏人の子のくせに恥ずかしいことのように思った、と。土の幸山菜を蔑んで、都会化された人工的な食い物に憧れていたわけです。
都会化された人工的な食い物に憧れる、田舎者にありがちです、
あっ、私でした。
しかし、父親のやっていことは「真の醍醐味の顕在」と認識が変わり、自分も同じようなことをしていて、しかも文章にしている。死んだ父からは<馬鹿者よ。あたりまえのことを書いて金にしておるか>と言われているだろうなと懺悔です。
最後に、水上さん家には、お手伝いさんもいて毎日毎日は自分で料理をやっていないということは付け加えておきましょう。