10年に一度の寒波です。10年に一度の〇〇という表現に慣れてしまったせいかいつものように切迫感なくやり過ごそうとしていました。これまで5年間、かなり寒い日もあったが水道が止まったこともなかったので何もしなくても今回も大丈夫だろう・・・
ここ5年で一番寒いみたい
10年に一度なので、5年では足りなかったようです。
うちの場合、危ない境界線は、
- 朝の気温がマイナス10度クラス
- 日中でもマイナス温度
- 陽あたりのよくない、屋外の給湯器あたりが一番凍りやすい
うちの場合というのは、陽当たりがよく村の中でもかなり恵まれている状況にあるからです。恩恵がないと、うちの実家のように凍結防止ヒーターを入れたり、それがなければ、水道を出しっぱなしにするとか対策をしないとすぐにアウトです。10年に一度どころか毎年アウトです。
今回は、午後に自然解凍で最後まで凍結していた給湯器からも水が流れ出してきて一件落着でしたが、今後、危なそうなときは、水を出しっぱなしにしておくのと、給湯器の説明書にあった対策をすれば切迫感なしにやり過ごせそうです。
そういえば、畑で使う農業用水のところの蛇口は水抜き栓になっています。水抜き栓で凍結防止なんていいものがあるんだと思っていました。今のところ真冬に長期間家を空けることはないのでいいですが、わが家の水抜き栓のありなしや、やり方はマスターしておいたほうが良さそうな気がしてきました。
春まで水道が使えなくなったときもかつてあった
村内で一時的や一部水道管が凍結して使えないとか、水道管が破裂したという話はたまに聞きますが、長期にわたって水道がまったく使えなくなったという話は聞かなくなりました。
いつから聞かなくなったのかは村にいなかったのでわかりませんが、少なくとも私が小中学校のときは確実にありました。なぜ断言できるかというと私のうちがそうだったから。
当時は今よりも全体的に寒かったと思います。川をせき止めてスケート場にしていたくらいです。家でも水を流しっぱなしにしておくとか、凍結しそうなところに豆炭のアンカをくっつけて毛布でくるんでおくみたいな対策をやっていたわけですが、ある日の朝突然水が出なくなります。
以降、生活は一変です。
水の出る家にバケツ持参で水をもらいに行く(これは手伝う)。料理やらなんやらはその水で全部まかなう。風呂の水はそんなにきれいでなくてもいいので川にバケツでくみに行く(これは手伝う)、などなど。
いま同じ状況になったらできるかな??
水が止まっても、さみーな、かなわねーな、なんて言いながらバケツを持ってやっていたのでしょうが、今思い返してみても悲壮感でやっていた感じはまったくありませんでした。緊急事態でワクワクまではいかなかったでしょうが、非日常モードだぞ気張らなきゃ、ぐらいな感じだったはずです。(いま同じようにできるかは別ですよ)。ともあれいい思い出です。
毎年水が止まっていたわけではありませんが、止まるときは1月、いや早ければ12月のこともあったかもしれません。水が止まった朝の母ちゃんのため息、「一度止まったら終わりだぃ、もう春まで出ることはねーに」と言っていた姿が思い出されます。水が出たときのこれ以上の春の喜びはなかったに違いありません。
追記:寒波の影響はほかにも
《2023年6月4日記》
大寒波は、農作物の保管にも影響があったそうです。6月頃に収穫するジャガイモはうまく保管すれば翌春までいけると先輩農家さんが言ってましたが、それでもこの大寒波は、ジャガイモがしみたと嘆いていました。 新ジャガを喰らう で記事にしました。うちはまだそんなに長いあいだ保管したことはありませんでしたが今後は気を付けたいところです。