子供のころは、母親が家で何でも手作りしてくれる田舎料理には、“またか” みたいな感じでありがたみを感じず、スーパーなどで買ってきた惣菜や加工品のほうに惹きつけられていたのは、生まれながらの田舎者のひがみ根性として許しを請いたいところです。でも、その母親もこの春、桜の季節に亡くなりました。
15年ほど前に脳出血で倒れて、死の淵から不死鳥のようによみがえりましたが、その後遺症で、重度ではないが認知症もありました。火を使うような料理もできなくなりました。でも、父親の見守りで、亡くなる一カ月前に入院するまで自力で何とかトイレにも行けましたし、精神状態もあまりにもひどくなることなく、15年以上もよく頑張って笑顔も見せてくれたという感じです。
最後の2年間は近くに住めたことは何よりありがたかったです。母親が弱っていく姿は、見るに耐えないものがありましたが、人は老いていくということを、自分の身体を使って見せてくれました。自分の身体を使った最後の親の教育を受けられたことはかけがえないものとなりました。
軽い認知症もあってか、過去に、ひどい目にあったこと、悔しかったこと、何回となく話していました。そして、時たま、楽しかったこと、よく頑張ってやったことなどが混じってきます。
とある料亭に田舎料理を納める
頑張った話、その中の一つが、田舎料理をある料亭(日本を代表する老舗料亭のひとつ)に納めていた話です。きゃらぶきと大根の酢漬けを料亭(Zとします)に納めていました。
きっかけは、建設会社を経営している知り合いのお宅に、きゃらぶきをおっそわけしたことです。そのお宅で来客時に出したら、「これはうまい!」となります。その時のお客さんは、大手ゼネコンに勤めていたAさんです。Aさんから、これをある程度の分量作れないか、と母親に打診があります。Aさんは料亭Zにルートがあるので売り込んでくれるというではありませんか。その話がうまくまとまり、納めることになりました。母親が脳出血で倒れるまで、5,6年はやっていました。
母親は、「料亭Zに、きゃらぶきとか出してた時は、作った分は全部引き取るので、作れるだけ作ってくれと言われて、頑張って作ったいねぇ~ いい小遣いにもなったし、ハハハ・・」と笑ってました。
亡くなる前には、きゃらぶきなど田舎料理の作り方が書いてあるレシピをお棺の中に入れてくれと言ってました。向こうの世界でも料理をするつもりでしょうか。田舎料理を作っては「こんな田舎の山賊料理が喜ばれんるんかね、食いない、食いない」と周りの人に勧めているかもしれません。
このレシピで田舎料理をつくってみるか
ただ、棺には、カラーコピーしたものを入れておきました。現物を入れてしまえば、取り戻すことはできなくなるではないか、と。現物を形見として保管しているだけでも意味ないと思い、レシピを一つ一つ試してみようと思っています。
もっとも、このレシピで母親の味は再現はできないでしょう。レシピどころか、母親が現役でやっていたときに習いに来た人も何人もいましたが、うまく味は再現できませんでした。作っている場所の状況が違います。水も違えば、使っている道具も違います。そして、父親の味見も不可欠でした。
レシピそのものも分量の目安が書いてあるぐらいで手順とかはあまり書いてないです。メモのようなものです。父親にも聞きながらやってみます。